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自称音楽通から進化した音楽痛とは分かり合えない

自称音楽通から進化した音楽痛とは分かり合えない
カテゴリ:  音楽ネタ  

音楽に詳しく精通している人のことを音楽通といいますが、自称音楽通、その中でも音楽痛とも呼べる厄介な人達がいるのも事実です。

普通に自分のことを音楽通と思っているだけの人なら平和で良いですが、その中には他人の音楽の趣味に入り込んで、自分の嗜好と異なる場合に、否定・中傷・侮辱するような言葉を浴びせるような人が紛れているのです。
今回はそんな音楽痛とも呼べる自称音楽通について考えてみたいと思います。

自己防衛と他者攻撃をする音楽痛

音楽を聴きこんでいくと誰もが評論家のような気持ちになって曲にのめり込みます。
自分の評論に悦に浸って入り込んでしまい、気づけば自分の好きな音楽こそが正義と信じて止まない「音楽痛」になってしまう人達がいます。

自称音楽通から間違った方向に進化した音楽痛という人達の特徴は、自分の好きな音楽を崇め、他の気に入らない音楽を攻撃することです。
インターネットの掲示板や投稿動画サイトなどで敵とみなしたコンテンツに対して中傷したり、侮蔑した言葉を残していきます。
そして、そういう人ほどジャンルや国、年代といったカテゴリ単位で音楽を評価する傾向もあります。

自分の考えが絶対と思っている

この音楽痛は普通の音楽が好きな人にも噛み付きますが、他の音楽を好きな音楽痛にも噛み付きます。
音楽痛同士のやりとりというのは、正直お互いの批判・否定ばかりで見るに耐えません。
彼らは自分の音楽、思想こそが正しいと信じて疑わないため、話し合いは常に平行線のまま。
音楽というのは素晴らしいコンテンツですが、こういうことが起こるのも音楽の怖いところでもあります。
(もちろん、音楽自体が悪いのではありませんが)

音楽の強いメッセージ性が思想・信仰を産む

音楽には誰でも聴くことが出来て、歌ったりして演奏することが出来て、曲を作ることも出来て、批評することも自由です。
その自由さ、手軽さこそが音楽が世界中に定着している理由だと思いますが、それでもエンターテイメントであり、芸術的側面を持っているということを忘れてはいけません。

芸術作品であればそれ自体にメッセージ性を持っているのが普通です。
個人的には音楽、特に歌というのは特にメッセージ性が強いコンテンツだと思います。

まず歌詞という直接的なメッセージがあろことに加え、それをより掻き立てる伴奏があり、かつそれが身近な存在であるからです。
だから人は音楽を好きになり、そしてハマっていく過程で、それが思想になり主義になりポリシーになります。
そして信仰とも言えるくらいに溺れていくこともあります。

本当に音楽が好きな訳ではなさそう

音楽はまさに自由なコンテンツであり、どのように楽しむのかも、どんな音楽を愛するのかも、自由です。
しかし、他人や他のアーティスト、曲に悪い影響を与えるのは間違っていると思います。
好き嫌いは自由ですが、どの音楽にも作り手の想いやそれを支持しているファンがいて、それはとても意義深いことです。

正直、音楽痛というのは音楽のことを好きというより、自分の思想に酔っているか、または音楽にかこつけた、感情を発散したいだけとしか思えません。
他の音楽への攻撃を、自分が好きな音楽を作った人は望んでいるでしょうか。
自分の好きなアーティストや曲に対してリスペクトを欠いているのではないでしょうか。

音楽痛の攻撃に嫌な思いをされた方は、彼らを相手にすればするほど不愉快になるだけなので、自分たちのペースで音楽を楽しむようにしたいものですね。



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